――本作のアイディアはどこから?


もう10年以上前になるが、私と共同で脚本を執筆したカタリン・ミツレスクと、舞台版の脚本家アンドレーア・ヴァレアンが、再教育センターを訪問したそうなんだ。それからアンドレーアは芝居用の台本を書き、カタリンは脚本の原案を書き上げた。2年前に、カタリンが僕にその原案を送ってきて映画化に取り組んでみないかと持ちかけてきてね。読んでみたら頭か離れなくなってしまった。それから1年半この作品に取り組んできて、何度も修正を加えて草案を書き直したよ。でも、脚本が劇的に変わったのは少年院出身の少年たちと触れ合うようになってからだ。彼らを知るうちに、彼らが犯した過ちの原因の一部が理解できるようになってきた。そして最終的には、家族や育ってきた環境、何より刑務所の塀の外にいる僕ら一人一人が、少年たちの行動にどれほど影響していたのかを理解することができた。



――どういった要素をオリジナルのまま残し、またどの部分に変更または手を加えたのですか?

映画という媒体は、舞台とは制約も異なるしもちろん観客も全く違う。それに適合させるために大幅な修正を加えなければならなかった。その中で僕たちが最も大切にしたのは、少年院の受刑者たちの精神や物事に取り組む姿勢だよ。彼らの考え方や行動は、大胆で妥協を許さず、どこか子供っぽい。結果なんてあまり考えず、なにがなんでもゴールにたどり着くという決意がある。タイトルや少女を誘拐するところは、オリジナルとは異なるところだ。さらに主人公シルヴィウに焦点を合わせ、より人間くさく傷つきやすいキャラクターに作り変えた。彼が行動を起こす動機も異なっている。シルヴィウをもっと共感でき、好まれる人物にしたかったんだ。彼の逃亡も、より現実的になるように修正を加えた。実際に変えたのは、脱獄の動機となるよう母親と弟というキャラクターを付け加えたところだ。ほかにも、少年院内のヒエラルキーであるとかウルスという原案にはいなかったキャラクターを加えたし、少年院の院長により人間性やニュアンスを持たせた。それから、エンディングも変えたんだ。


――もと受刑者という素人の役者たちにどのようなアプローチを?

少年たちとの取り組みには2カ月以上かかった。ルーマニアの2つの少年院を訪問し、演技セミナーを開催したんだ。もともとは、プロジェクトの一員になる強い意志を持っていることと真剣さ、この2つを選考の基準に考えていた。蓋をあけてみれば、この基準を満たす少年が100人以上にも及んでしまった。
最終的には、才能、誠実さ、熱意にあふれ、かつ過去数カ月に重大な非行を行っていない少年たちを出演者に選んだ。
実は、彼らのように熱意とやる気のある子供たちに出会えるとは期待していなかった。彼らはみな賢く、少年院や養護施設で過ごすうちに自然と鋭さを身に付けている。信じがたいほどの才能にあふれている子が何人もいたし、生まれながらの役者と思えるほどの子もいた。少なくともそのうち2人は、将来また一緒に仕事ができる役者に成長してほしいと心から願っているよ。1人には実際に彼のために脚本を書こうかとすら考えている。彼らとの仕事は大きな喜びであり、新たな発見の連続だった。永遠に心に残る体験だよ。彼らにとっても、そうであってほしいね。

一番難しかったのは彼らの信用を得ること、つまり決して利用したり恩を着せようとしているのではなく、彼らをただ過ちを犯してしまったごく普通の子供だと思っていると理解してもらうことだった。過去に恐ろしいことをした少年もいたが、そのことで彼らを判断したことは一度もない。人々はあまりに早急に彼らを決めつけてしまう。犯罪歴や新聞記事だけで判断せずにもっと異なる目線で彼らを見れば、物事はまったく変わってくるはずだ。彼らは少年院の外にいる子どもたちとは違った角度から提示されたチャンスを見ていて、外の子どもなら絶対にしないような方法で心を開いてくれる。何の小細工も必要ないのさ。ただ彼らを尊重してやればいいんだ。



――キャストを決めたポイントは?

主人公シルヴィウ役を決めるのには7か月もかかったんだ。何千枚も写真を見て、さまざまな背景を持つ何百という少年と会った。若手の俳優から、演劇部の学生、別の高校へ通う生徒たち、中学のサッカーチーム、エージェンシーまで。だがなかなか見つからなかった。シルヴィウ役には多くの素質が求められるからね。カリスマ性、落ち着き、知性、強い存在感、それから人格。それに加えて、“精神を統一して”役に入り込み、感情に身をゆだねることが必要だ。つまりは演技力が求められるわけだ。いくつかの素質なら持っている少年はたくさんいたが、全てを兼ね備えていたのはジョルジェだけだった。シルヴィウ役はジョルジェにとって初めての演技だったが、それは大きなアドバンテージになったと僕は思っている。ジョルジェの演技にはめったに見ることのできない新鮮さがあったし、それは彼の“未熟さ”のおかげだった。初めての演技だということに何のデメリットも感じなかったよ。ジョルジェはとてもプロフェッショナルで、力強さを見せてくれた。それこそが、シルヴィウというキャラクターに求められるものだったんだ。互いにコミュニケーションを上手く取る方法を心得てからからは、何もかもが順調だった。リハーサル中や撮影中、もう駄目だと思った時もあれば、アドリブに挑戦したこともあった。ジョルジェは今、演劇・映画学校の一年生なんだ。彼がこれからもよい演技を見せてくれることだけを願っている。相手役のアナの配役も簡単ではなかったよ。アナ役を務めたアーダには当初は他の役(後に脚本から消すこととなった)をお願いしていて、半年以上もテストを受けてもらっていた。アーダにはしびれる様な存在感と素晴らしい才能そして強さがあって、仕事に対する強い意志がある。だから彼女とはジョルジェとは違った方法で仕事をすることができたよ。

――次回作のプロジェクトは?

演劇学校を開きたいと思っている。今までに演技をしたことがない人向けのね。準備段階や撮影を通じて少年院の少年たちと触れ合ったこと、特に少年院内で演技セミナーを開催したことは本当に実りが多かった。今までに聞いたことがあるだけだった世界へ踏み出す良いきっかけになったし、口先だけだった信念を実現させるチャンスをもらったよ。 素人の役者と一緒に仕事をすることで、仕事面でも精神面でも満足感を得ることができた。素晴らしい挑戦だった。
彼らの純粋さに心を打たれて、なにが成功でなにが失敗か、あいまいに思えてくるほどだったよ。映画監督としては失格かな。どんな役にでも素人の役者を起用すればいいというわけではないが、素人だからこそプロの演者とでは決して到達できないような良い作品を作り出すことができると思う。 少年院にいる子どもたちを知っていくうちに、わかったことがある。彼らに最も不足しているものは愛情と関心で、時がたつにつれそれが自信のなさにつながっていってしまう。
そんな中で、演技というものが彼らの助けになるということだ。本作も助けになることができたと思う。彼らは何もできない野良犬以下なのだと話だけ聞いてきた人たちに、ただ存在しているだけで、笑顔や仕草一つだけで200人の観客を同時に笑わせ震いあがらせることができることを実感してもらえることは大きなことだ。これによって自信が生まれ、変化が訪れるだろう。演劇学校のアイデアは演技セミナーから始まったんだ。受刑者の少年たちに起こった変化は、どんな人にだって起こりうる。いや、それ以上の変化が起こるかもしれない。人々が自分の中に潜む悪魔を吐き出して夢を広げていけるような、そんな場所を作りたいと思っているんだ。演技は癒しになると信じている。そして今回のように、将来いっしょに作品を作っていける才能を見出したいんだ。


――影響を受けた映画製作者は?

ブレッソンとアルモドバルが大好きだ。それからヌリ・ビルゲ・ジェイラン、ブリュノ・デュモン、ケン・ローチも。僕も早く歳をとって、小津安二郎のような映画を撮りたい。でも今のところ『グラディエーター』みたいな映画を作りたいと考えてるんだ。